卒業式

本当に色々なことがあった3年間。
新しいことに挑戦したり、壁にぶち当たったり。
でも、僕の高校生活はこれで終わりです。

にわかには信じられないです。
手垢のつけられた感が満ち溢れている気もしますが「また明日目が覚めれば登校するのではないかと思ってしまう」という表現はまさに的を得ていると思います。

校舎を後にして家路に着こうとしたとき、無意識のうちに上履きスリッパを下駄箱に入れてしまっていた自分がいました。それに気づいたとき、ふと切ない気分に襲われました。もう、ここには「在学生」としてくることは恐らくない。同じスリッパを同じ下駄箱に入れることも、もう二度とない。

僕はスリッパを下駄箱から出して、かばんにしまいながら「一瞬」というものを感じました。「一期一会」これも使い古された言葉ですが、僕たちが「存在する」ということは、まさに数え切れない「一瞬」の連続の中で生きているということなのだなと思いました。

カオス理論というものがあります。現代文の授業でご存知かもしれません。
僕たちが学んできた古典科学では、「物事を完全に予測する」ということを目的にしてきた部分があると思います。たとえば、100メートルの塔から物体を投げ落として、物体が着地するまでの時間を求めるように。

「ある一瞬の値が決まれば、100年後の値も決まる。正確に予測できないのは条件が足りないからだ」

と長い間考えられてきました。しかし、どうやらそうでもないらしいということが比較的最近研究されるようになりました。

カオスというのは、入力に対する結果が予想不可能であることをいいます。たとえば、今手に持っているボールが100年後どこにあるのか予測できないことや、「がんばれ」と言って相手がどう反応するかを予測ができないのも、これに含まれると思います。

ある科学者は気圧の変動を予測するコンピュータープログラムを作り、同じ計算を2回させて同じ結果になるかどうかを確かめようとしました。全く同じ入力ならば、結果も同じであるはずです。ところが、それぞれ違う結果が出てしまったのです。

原因は、その科学者が「これくらいなら大きな差は出ないだろう」と考え、2回目の計算のときに小数点以下数桁以降を入力しなかったことでした。このほんの小さな差がまったく別の結果を生み出してしまったというわけです。

僕は高校生活を振り返って、そうした小さな一瞬一瞬の積み重ねを考えてみました。そうすると、確かにそれぞれの一瞬が今の僕を大きく左右しているように思えます。学校行事や日常生活、友達とのふれあい。大したことがないように見えるけれども、実はこれが今の僕が存在するための大きな条件だった。

結果はともかく、この3年間の間に積み重ねた無限の瞬間の数々を、大切な思い出として忘れないようにしたいなと思います。

最後になりましたが、クラスメートならびに教職員のみなさん、本当にありがとうございました。これから別々の道を歩んでゆきますが、それぞれの道での成功を心から願いつつ締めくくらせていただきたいと思います。

また西友かサティで会いましょう。

2007年3月1日

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