カテゴリー別アーカイブ: 雑感

プロジェクトマネージメントとか色々

某所でプロジェクトマネージメント(というと大げさだけど)をやることになったのだけど、(そのせいで最近ここの更新が止まっている)、やはり難しいものだなあと思ったり。

その人のやり方というものがあるので、それが僕自身が正しいと思っている方法とは違っている場合、その意見の衝突をどう解消するかというのは非常に難しい問題だ。

あとは、自分自身は実作業を殆どせずに、PR活動や今後必要になるであろうことの整備などの布石打ちをやったり、色々やらなければならないので、他の人から見たら楽しているように見えないだろうかなんて不安になったり。

まあ、でも「外堀り」良い感じに整備出来てきたと思うので、ようやく本格始動できるステップにこぎつけたかなーという感じで、これからもどんどん頑張っていきたいと思う。

そういえば、この件とは別に、フリーライターとしての仕事が舞い込んできそうなのだけれど、これって会社の副業禁止規定に引っかかりそうだよなあ……。上司に相談しなければならないな。めんどくさいったらありゃしない。1記事書いても小遣い銭程度だから、サーバー維持費にもならないという。ぶっちゃけ黙っていてもバレないだろうけど、そういうところをしっかりしておかないと気が済まない性格なので、もんにょり。

というわけで愚痴りました。
以上。

大津いじめ事件への所感:建前よりも実質を。

大津の事件の報道を見る度に胸糞が悪くなる。
変な時間に起きてしまったので、少し言いたい事を書いてみようと思う。

僕が中学生の頃、大津の事件とは比較するのも憚られるほど軽度なものだけど、言葉によるいじめを受けていた。某友人氏ならきっと「女子中学生に罵られるなんて幸せじゃないか」と言うに違いないが、当時の僕にとっては死にたいほど辛かったし、その影響で今でも「死にたい」という口癖が残ってしまってるほどだ。(まあ、今は専ら少し恥ずかしいことを思い出して口走るぐらいで、本当に死にたいわけじゃないが。)

当時の僕が絶望しなかったのは、担任の先生が親身に対応してくれたからである。
先生に相談すれば、話を聞いてくれたし、学級会議を開いてくれた。まあ、そういう対応では根本的な解決にはならないことが多いのだが、学校に味方が居るという安心感があった。何かあればすぐに相談できたし、そのことがいじめのエスカレートを防いでいたのかも知れない。だから、今もこうして生きているのかもしれない、と思う。恩師にはとても感謝している。

一方で、大津の事件は、教師がまともに対応していなかったという情報がある。どこまで事実か、というのは把握しようもないが、それにしても不思議なほど、不誠実な対応が目立っている。何故そんなに不誠実な対応なのだろうか。「道徳教育実践事業推進校」として成果を上げているという『建前』のもとに、「いじめ」が存在してはいけないからではないか、という邪推もしてしまうほどだ。

もし、先生が相談に対してまともに取り合っていなかったのであれば、しかもそれが自分の勤務評定を下げないようにするためであれば、そんな酷い話はない。何の為の道徳教育推進だ。きちんと相談を受け付け、いじめに対応し、そしていじめられている生徒を安心させる。そういう地道なことが評価されるべきではないのだろうか。

原発の事にしてもそうだが、「事故は起きないと宣言したので、起きた事故はなかった事にする」という類の出来事は、本当にナンセンスである。そんなことなら、宣言しないほうがまだマシである。

残念ながら、いじめは起きるものだ。
事故を完全になくせないのと同じように、いじめを完全になくすことは出来ない。
いつどこで起こるか分からないし、一旦起きた時に、収束させることは非常に困難である。なぜならば、この世の中には『話の通じない人間』というものが一定確率で存在するからだ。話しあえば分かりあえる、というのは幻想である。

だからこそ、そういうときにどうすれば良いのか、というノウハウを培うことが非常に重要となる。
幸いというべきか不幸というべきか、いじめの発生確率は、原発事故の発生確率に比べれば非常に高い。程度の差こそあれ、少なくとも40人クラスに1人はいじめられている人がいると考えるべきであろう。したがって、ノウハウを培う機会は無尽蔵にあるのである。

確かに「うちのクラスにはいじめがない」というのは輝かしい実績かも知れない。しかし、それにはまるで意味がない。そこから得られるものは何一つとしてないし、そもそも、そういう実績は得てして眉唾物である。僕はこれでもプログラマーの端くれだが、「このプログラムは完璧だ。バグなど一つもない」と思ったプログラムに限って、エンターキー1つで異常終了するものなのである。どこかに見落としがあるから完璧に思えてしまうのである。

それよりも、「こういう事案が発生し、こういう対応をした。その結果どうなった」という情報を成功事例であれ失敗事例であれ蓄積して共有する事に意味があるのである。『完璧』な実績や成功か失敗かよりも、情報共有への積極性が評価されるべきであろう。

何よりも、いじめを受けた生徒を黙らせてはいけないのだ。いくら忙しくても、いくら些細な事に思えても、生徒からの相談には親身に対応する。それが基本である。相談がなくとも、アンテナを広げ、積極的に聞き取りを行うということも必要かもしれない。また、その際に、あえて「いじめ」という単語を使わないというのも一つの方法かもしれない。(考えて欲しい。世の中には「自分がいじめられている」という事実を肯定できない人間もいるのだ)
間違っても「君が我慢してくれたら、全てが丸く収まる」なんて事を言ってはいけない。

建前よりも実質を。
人事評定よりもきちんとした対応を。
実態に即せぬ宣言よりも、情報共有によるノウハウの蓄積を。

それが僕から教師や偉い人のみなさんにお願いしたい事である。
まあ、僕のような若輩者が言うまでもなく、誰もが分かっている事なのだろうけれど。

ソフトウェアを納入したのに代金を支払わない、とある会社の話

これは大学時代のお話。
一応、不本意ながら現在進行形である話でもあるので、具体的な名前は伏せたいと思う。

一部業界では割と有名な、とあるカルチャースクールのような会社であるA社。このA社に勤める知り合い(Bさん)を通じて、A社の顧客管理システム(以下、「Tシステム」)の開発を請け負うことになった。かくして僕一人のTシステム開発プロジェクトは幕を開けたのである。
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これは酷い記事:来春の新卒採用「増やす」3割、「減らす」2割

■来春の新卒採用「増やす」3割、「減らす」2割
(読売新聞 – 09月28日 18:13)
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110928-OYT1T01011.htm

2012年春の採用計画があると答えた企業のうち、採用人数を11年春より「増やす」と答えた企業は31・5%で、「減らす」(19・2%)を上回った。「変わらない」は47・0%だった。一方、11年の採用人数を10年春より「増やした」と回答したのは全体の38・1%だった。

これでは、トータルで採用人数が増えたのか減ったのかが分からない。

「採用計画があると答えた企業」が11年春から12年度春の間に減ったのか増えたのかすらも分からないからだ。

例えば、次のような場合があり得る。

<11年春>
A社: 10人
B社: 10人
C社: 10人
D社: 10人
———–
合計: 40人

<12年春>
A社: 15人
B社: 10人
C社: 10人
D社: 採用を行わない
———–
合計: 35人

12年度に採用計画がある会社は3社。そのうちの1社(33%)が採用人数増加。
しかし、D社が採用を行わないため、合計は35人となり、11年度よりも減少している。

そう考えると、この記事は何を言いたいのか分からない。
母集団推定するのに適切な標本かという検証を統計学的に行うことまでは求めないけれど、標本数さえも示されていないのはいかがなものかと思う。バラエティ番組の街角アンケートでも「100人に聞いた」等と明示していたりするのに、新聞のアンケートがこれではなあ……